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ヘスディー・ゲルゲスインタビュー:いつでもかかってこい

fightnewz.netインタビュー和訳

頂点に立って:バダ・ハリの失格負けによりショウタイム世界ヘビー級新チャンピオンとなったヘスディー・ゲルゲスは試合後記者団の質問に答える。
ヘスディー・ゲルゲスは、自分が倒れたとき顔にめがけて反則の蹴りを入れたバダ・ハリの再戦をいつでも快く請けると言っている。

2ラウンド、ゲルゲスの立ち上がり際に、どういうわけか王者ハリが放ったサッカーボールキックによるハリの失格のおかげで、ショウタイムヘビー級王者のタイトルを得ることができたという。

エジプト系オランダ人であるゲルゲスは、このアムステルダムアリーナのメインイベントが物議をかもすことになった結果を受けて、ハリとの再戦は避けられないだろうという。

ハリは今最も注目されている選手である。ゴーカン・サキもFightnewz.netに語った。彼もハリ、才能あふれる気まぐれなアムステルダムのスター選手との再戦を望んでいると。

26歳のゲルゲスはFightnewz.netに語った。
「もちろん、再戦は望むところだ。俺はファイターなのだから。」

「だが、再戦“してやる”とは言わない。どうせ再戦は必ず行われるのだから。」

「俺たちはともにトップ選手なのだから、再戦は当然のことだ。おそらくこのタイトル(ショウタイム王座)をかけてね。」

「問題ない、いつでもやってやるさ。毎日トレーニングはしている。トレーニングは大好きだしいつでも誰とでも戦ってやる。だって俺は真のスポーツマンだから。」

ノックアウトや判定で勝つほうが失格による勝利よりも良いとゲルゲスは言う。しかしハリの突然の反則蹴りにより一時的に視力に問題が生じたと説明する。

モロッコ系オランダ人であるハリが、その自爆的性質で彼の評判を落としたことは記憶に新しい。2008年K-1ワールドグランプリ決勝、レミー・ボンヤスキーが倒れているところ、その頭部を踏みつけるという行為によって失格となっている。

「勝ったことはもちろん嬉しい、もちろん正当な試合で勝ちたかったが、彼がそれをさせてくれなかったんだ。」ゲルゲスは言う。

「試合の10分後には痛みは引いたけど、あの時は意識が飛んでいた。ほぼアゴの急所に当たっていたから。本当にひどいキックだったぜ。」

「すごく頭がくらくらして、普通に試合をしていて蹴られるのなら大丈夫なんだ、だけどあれは倒れているところを予想外にきたから。」

「立ち上がって構えようとしたんだけれど、何が起こったかわからなかった。」

「ああいうやり方は好きじゃない、だけどあれがやつのやり方なんだ。俺とは違う。結果俺は試合に勝った、それが一番重要なことだ。」

ハリは早いラウンドで勝つだろうというのが大方の予測だった。しかし、ゲルゲスを揺るがすことはできなかった。1ラウンド、ハリの右パンチがゲルゲスのこめかみにヒットし、一瞬のいわゆるフラッシュダウンのみだった。
ゲルゲスはパンチの連打でロープ際に押し込まれたあと足払いで倒れ、その直後衝撃の幕切れとなった。しかしこの一連の攻撃の応酬はゲルゲスの1発のパンチがハリにヒットしたことにより始まった。

彼は言う「俺はこのハードな試合のためにきちんと準備できていた。見てそう思わなかったかい?」

「この試合は想像してたほどハードじゃなかった。練習では3人のヘビー級と代わるがわるスパーリングしてきたんだ。トレーニングのほうが厳しかったくらいだよ。」

「俺にとってパンチは大したことはない。試合のときは誰に殴られたって平気だ。」

「だけど倒れているときに蹴られることまでは想像していなかった。」

“ファイターズ・ハート”ゲルゲスは常に自分の実力を疑うものたちにその強さを証明してきた。彼はすでにK-1の常連であるルスラン・カラエフやポール・スロウィンスキーを倒し、判定で負けはしたものの4度のK-1ワールドグランプリ王者であるセーム・シュルトに対してもガッツのある戦いを見せた。

さらにK-1の前チャンピオン、198センチの野望あふれるハリが築いてきた地位に立ちはだかったことで、ゲルゲスに批判的な批評家たちに恥をかかせることができた。

ゲルゲスは、その折れない心でバダハリファンの群集にも打ち勝った。そして語る「セーム・シュルトと戦ったとき、みんな2ラウンドもたないだろうと言っていた。カラエフとのときも最後までもたないだろうと、スロウィンスキーのときだってそうだった。」

「俺は誰の批判も気にしない。だけどきっとみんな俺のことを信じてくれはじめていると思う。」

彼は付け足す「俺はナンバーワンになりたい。全員倒したい。自分にはそれが出来ると信じている。」

「最高の選手になって歴史に残りたい。現役を引退して、町ですれ違う人が俺を知っていて、いい選手だったと声をかけてくれるようになりたい。」

「それが俺の夢なんだ」

ゲルゲスの勝利はまた、チャンピオンを量産する名コーチ、トム・ハーリンクの勝利でもある。彼はハリを5年間に渡って育て、2005年に辛い別れを経験した。そして元教え子であるハリが失態を犯すという結果によりハリの評価を下げさせた。

アムステルダム在住のハーリンクは試合後も興奮冷めやらぬ様子で語った。
「スポーツマンなら、倒れている人間を蹴るようなことはしない。」

「バダはレミー・ボンヤスキーにやって、またヘスディーにも同じことをした。彼は自分をで自分をだめにしているんだ。」

「ヘスディーはバダがやった失敗、倒れたところを蹴られるということなどで勝たせたくはなかった、彼にそんなことは頼んでいない。これはすごく危険なことだ。」

「全ての栄誉はヘスディーにある。彼は尊敬できる人間だしまじめなやつだ。私はずっとヘスディーにこの試合は厳しくなるといっていた。3ラウンド目を見たかった。」

WFCAワールドチャンピオンでもあるゲルゲスは、このハリとの勝利によって戦績を伸ばし32勝8敗2ドローとなった。

トム・ハーリンクインタビュー日本語訳

番狂わせを狙え!ヘスディー・ゲルゲス、バダ・ハリ戦にのぞむ

p10104421_thumb衝撃を起こせ - 著名なオランダ人トレーナーであるトム・ハーリンクは、5月29日アムステルダムで開催される『ショウタイム』で、ヘスディー・ゲルゲスに大番狂わせを演じてもらおうと画策している。(写真トム・ハーリンク、左はブラジル人ヘビー級選手のアンデウソン”ブラドック”シウバ)

トム・ハーリンクは期待している。ヘスディーゲルゲスが来たるバダ・ハリ戦において、チャクリキの伝統ともいえる番狂わせの試合を、彼もやってくれるだろうと。

この真面目一徹のトレーナーは、ジェロム・レ・バンナに3週間の厳しいトレーニング課し、タイロン・スポーンに勝利させたことにより、その手腕を改めて発揮した。

ヘスディー・ゲルゲスは、ハーリンクの営む北アムステルダム郊外のジムに所属している。彼もし、5月29日バダ・ハリに勝つようなことがあれば、キックボクシング界に衝撃を巻き起こすだろう。

アムステルダムアリーナで開催される『ショウタイム』のメインイベントで、バダ・ハリが勝利の大本命だということは、ファンだけでなくハーリンクも重々承知している。

しかし、この厳格なコーチは、選手の体力的な強さだけでなく、自分を信じる強い心を選手に植え付けることでもその名が通っている。彼の育てたブランコ・シカティックしかり、ピーター・アーツしかり、そしてアミール・ゼヤダも、下馬評をずっと覆してきているのだ。

ゲルゲスもまた勇敢で肝が据わっている。彼はファンの予想を最近2度にわたり覆している。ルスラン・カラエフとポール・スロウィンスキーを圧倒的大差で下したのである。

ハーリンクは言う、ゲルゲスにつけられた”エジプト系オランダ人の負け犬”のレッテルは上等だと。ハリとの試合の夜、それが覆ることを期待している。

「みんなバダは楽勝だと思っているだろう、どうぞそう思っていてくれ」と、ハーリンク

「カラエフや、ヤン・ムラー(東ヨーロッパの巨漢選手)のときもそういわれたんだ」

「皆がそういう時はいつも、ヘスディーは絶好調になるんだからね。」

「アミール(ゼヤダ)は2回、タイロン・スポーンに勝っている。そのときも皆、アミールに勝ち目はないと言っていたんだ。」

「スポーンとの2回目の試合、アミールは1・2ラウンドは、ポイントで負けていた。だが、その後アミールはスポーンを完全にノックアウトして勝利した。」

「ブランコ(シカティック)が、K-1で優勝候補だったアーネスト・ホーストをノックアウトしたとき、彼は40歳だった。」

「ピーター(アーツ)がフランク・ロブマンを、彼との初対戦で倒したとき、まだ18歳だった。」

「ロブマンはそのとき38歳で非常に強かった。みんな”トム・ハーリンクは頭がおかしい、ロブマンが勝つに決まっているだろう”と言っていたのだ。」

「ピーターがモーリス・スミスとパリで対戦したときも同じことが起こった。スミスは体重107キロで、当時無敵だった。ピーターはそのときたった86キロしかなかったのだ。」

「これがチャクリキのパワーなんだ。だがいつもウチの選手は負けの予想をされる。そう思われていたって全くかまわない。」

「バダがトップレベルの選手だということ私だってよーくわかっている。だがヘスディはリングでさらに勇敢になれるファイターなのだ。」

「言っておくが、きっと大変な試合になると思うよ。」

ゲルゲスはK-1でのデビュー戦で、目覚しいパフォーマンスを披露した。4回チャンピオンとなっているセーム・シュルトを相手に、突然のオファー(2日前)にもかかわらず善戦したのだ。

26 歳のゲルゲスは、K-1トーナメントで活躍するカラエフやスロウィンスキーに立て続けに勝利することにより、さらに評価を上げた。その一方で、すっかり過去の人となったベテランのアシュウィン・バルラックに惜敗、さらにその2週間後ブリース・ギドンに負けていることによって批判もされている。

ハーリックは、ゲルゲスが本当は勝っていたと信じている。ゲルゲスは後ろ足の蹴りを使って、やりづらい相手であるバルラックからポイントをとっていたはずだと。ギドンとの判定もほぼドロー、延長戦をすべきで、ギドンは負けるような相手ではなかったはずだと。

「ただ言っておくが、バルラックはカラエフよりは強いよ」とハーリンク。

「しかし日本でバルラックが試合をするようなことはないので、日本人ファンにとってはバルラックの実力はあまり知られていないんだ。」

「バルラックは東ヨーロッパのトーナメントで優勝しているし、他にも数多くの勝利をおさめている。彼の老獪さは私はよくわかっている。」

「試合はバルラックが判定をもぎとったが、テレビで見てもらえれば誰もがヘスディーがポイントをとっていたことがわかるはずだ。本当のポイントをね。」

「ブリースとの試合はそのすぐ2週間後のミラノで、ヘスディーは連戦でモチベーションが下がっていたようだ。」

「3ラウンドの判定で負けとなってしまったが、もし延長ラウンドがあったらヘスディーは勝っていただろう。試合後ブリース本人もそう言っていたよ。」

「とはいえ、ヘスディーを負かせたギドンは、強敵であるムラッド・ボウジディやリコ・バーホーベンを倒すような実力者だ。だからこの負けがなんだというんだ。」

「ヘスディがほんの少しリズムを回復させれば、何の問題もない。だから私は満足している。」

バダ・ハリは昨年のK-1グランプリでシュルトにあっという間に負けてから、KOアーティストとなってボウジディに圧勝、前回のアレクセイ・イグナショフとの対戦でも大差の判定で勝利した。

しかし、ハーリンクは言う。イグナショフがK-1のリングに返り咲こうとした試合よりも、ゲルゲスはバダにもっと厳しい試練を与えることになるだろうと。

ハーリンクが言うには「イグナショフは生き残るために試合をしているが、ウチの選手のような強い心を持ってリングには上がっていない。」

「イグナショフは試合をしたいんだったら、ノックアウトされたほうがよい、そのほうがお客さんも喜ぶだろう」

「バダは私の元にいたときよりもずっと体重が増えてパワーも増した、そしてバダのファイトスタイルは知ってのとおりだ」

「しかし、コンディションに関しては、ヘスディーのほうが上回っていると言っておきたい」

「才能に関してはバダのほうがある、しかしヘスディーには闘争心があり、我々には戦略がある。それが発揮されれば、思いも寄らないことが起こるはずだ。」

ハーリンクがこの伸び盛りのゲルゲスに高い期待を寄せている一方で、レバンナやアーツというベテランファイターは、ハーリンクに忠誠心を寄せている。

ハーリンクの下での1ヶ月に満たないトレーニングではあったが、レバンナは前回のスポーン戦で成長の一端を見せた。そしてその結果にレバンナ本人が感激し、アムステルダムに引越し、当面このオランダ人トレーナーの下で練習をすることを決意した。

「先週、ジェロムから携帯メールをもらったんだ。アパートを見つけたと。彼はアムステルダムに引っ越してきて、毎日ここで練習するそうだ。」 ハーリンク自身も今なお、毎朝、自分が教える前にトレーニングをしているこのジムで。

「スポーン戦前の3週間のトレーニングは、それ以前の彼を考えれば信じられない成長だった。君も見たと思うが、1ラウンド目の彼のシャープなまなざしと、試合を楽しんでる姿がわかったろう。」

「ジェロムは私に言ったんだ、長いことこんなことはなかったと、そしてさらに3ヶ月ここで練習したら、自分はもっとよくなるだろうと。」

「彼はK-1で優勝したことがないし、ワンマッチファイターだとずっと思われている。だがウチで練習していれば、きっと勝てるようになるはずだ。」

「ジェロムは7月16日にカナダ人の選手とレユニオン(フランス)でヒジなしルールのムエタイの試合をすることになっている。」

先日行われたK-1ヘビー級タイトルマッチ、アーツは京太郎(前田慶次郎)にノックアウトされてしまった。彼は計量後、97キロ、彼のK-1キャリアの中では最も軽い体重だった。

この3回王者となったアーツは、左ヒジの骨の裂傷のため、満足に練習ができなかった。これから手術のため1ヶ月は戦線離脱を余儀なくされそうだ。しかしハーリンクは、アーツはきっと良くなってカンバックすると予測している。

「ピーターは試合をするには体重が軽くなりすぎた。普通計量後、翌日にはもっと体重が戻るものなのだが、1キロしか増えなかった。1ヶ月以上もちゃんとした食事を取っていなかったので、彼はあまり食べられなかったのだ。」とハーリンク。

「これも失敗の一因だった。しかし一番の敗因はヒジの怪我だ。ちょっと触っただけで声を上げるほど痛がっていた。あまりの痛さにジムでのスパーリングもあまり出来なかったのだ。」

「試合の2週間前、私はピーターを棄権させようとしたのだ、しかしピーターはそれを拒絶して、試合をすることを望んだんだ。」

「それに私はアーツにとって前田は適切な対戦相手ではないと思っていた。逃げているわけではないよ、彼の戦歴からすると、もっと他にふさわしい、相手がいるのではないかと。」

「こんないろいろな条件が重なって、今回の負けとなってしまった。前田に全ての栄誉が与えられて、防衛に成功した。」

「ただ、この負けはピーターにとって今年一杯持ち越すような深いダメージでは全くないと思っている。」

「ピーターは彼らしく、必ず強くなって戻ってくるよ。」

ハーリンクは今週末4月17日、ブタペストにいる。ブラジル人ヘビー級ファイター、期待のアンデウソン・ブラドック・シウバがハンガリーのティハマー・ブルンナーと対戦するのだ。

シウバは前回の2月のショウタイムでの試合で負けている。ボスニア人選手、アドナン・レドゾビックに3度のダウンを奪われた末の判定負けだった。

ブルンナーはレドゾビックに勝っている。しかしハーリンクは、28勝、3敗、21KOをおさめているこのシウバが、勝ち星に返り咲いて、さらに成長するであろうと注目している。

ハーリンクいわく、「前回の試合の前、クリスマスに彼は結婚したんだ。そして奥さんと娘をブラジルに残してオランダに戻ったんだ。」

「そしてその後もちょっとしか帰れなかった。だから彼はあのときは試合をあまりやりたくなかったんじゃないかと思う。」

「それにちょっと太りすぎてしまっていたし。だから彼にはとにかく全部忘れて、試合にだけ集中しろといったんだ。今は十分にコンディションが整ってきたよ。」

「ブラドックは今現役の中で最も才能のある選手の一人だと私は考えている」

「彼はもっとずっと成長するはずだし、9月のK-1最終予選の16名にに入ることも出来るだろうと思っている。だからそれを見届けてやろうと思っているんだ。」

ハーリンクはシカティック、アーツとともに3度K-1のタイトルを獲得している。2番目の地位で満足するような男ではない。

「チャクリキという永遠のファイトスタイルが存在していると私は思う」彼は言う

「皆私のことを、テクニックをあまり重視しないと言っている。そんなことはない、もちろんチャクリキにテクニックはある。しかしテクニックというのは、ビギナーのうちに学び終えるものだ。」

「テクニックを学んだのちは、根性をつけ、精神力を鍛え、自分の限界を超えることだ。」

「100%のものを与えられたら、110%発揮する、これが私が求めているものなのだ。」

「イギリスのサッカーと同じだ。彼らは最もテクニカルというわけではない、しかし彼らは最初から最後までとことんやり抜く」

「これが私の性格でもあり、これを気に入っている。このやり方を曲げない。負けるかもしれないと思っても、勝てるようになるまであきらめないで続けていくことだ。」

「これが一番大切なことだよ」

もし彼の選手たちが同じ考えでい続けてくれるなら、チャクリキジムとハーリンクの前途はさらにエキサイティングなものになるだろう。

http://www.fansofk1.com/article?aID=3196

※訳者中:K-1プロフィールではHesdy Gergesはヘスディー・カラケスと表記していますが、当記事では現地発音に忠実なゲルゲスという表記を使用しております。

トム・ハーリンクインタビュー(日本語)


チャクリキ・タイム:左から、アンデルソン・ブラドック・シルバ、トム・ハーリンク、ヘスディ・ゲルゲス、トミー・ハーリンク(写真:ベン・ポンティエ)

ピーター・アーツは、次のK-1ワールドグランプリ決勝で注目を浴びるだろう。と、高名な彼のトレーナーであるトム・ハーリンクは言う。
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ピーター・アーツインタビュー(和訳)

K-1のスター選手であるピーター・アーツがsuperkarate.ruのインタビューに答えました。
インタビュー:Soslanbek Izrailov.(写真と文)
>>English is here.

目を細めてやさしい笑顔で私の目の前に座っているのは、過去全てのK-1グランプリに出場し、3回優勝している人物である。
20世紀最高のファイター。

何度も『RING SPORTS』や他の専門誌のベストファイター・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、二人の子供の父でもあり、コーチ、実業家、そして生ける伝説のキックボクサー、彼のファンは世界中にいる。

”ダッチ・ランバージャック”ピーター・アーツがSuperkarate.ruの読者の質問に答えてくれた。

Superkarate.ruの読者からの質問があります。一番いい質問にはあなたのサイン入り写真を送ることになっています。

そうですか、もちろん問題ないよ。

最初の質問はあなたの子供たちに関してです。

私には2人子供がいます、7歳の双子で、男の子と女の子です。私は毎日彼らを学校に連れて行っているんですよ。

子供たちはもうトレーニングをしているのですか?

息子はテコンドーをやってます、娘はバレエ、バレエとジャズダンスですよ。

息子さんはお父さんと同様テコンドーから始めたのですね。

ええ、でも彼はサッカーのほうが好きなんです。
テコンドーはとても競技性のあるスポーツですよね、競技性と柔軟性が身につきます。

私は子供の年ではボクシングはあまり良くないと思うんですよ。パンチをもらうのはまだ7歳の年では良くないですね。

あなたのおじいさんもスポーツマンだったんですか?

私の祖父はボクサーでした、叔父もそうです、しかしレベルは低かったです。
彼はいつも私をからかっていましたね、ボクシングで、私が15、6の頃でしたか。
スパーリングをしたんですが、私が彼の歯を2本折ってしまったんですよ。それが彼が私をからかった最後の日になりましたね(笑)

覚えていない人もいるかもしれませんが、あなたのトランクスには666という文字が入っていたことがありましたよね?

ええ、ジョークですよ、マイク・ベルナルドに対しての、マイク・ベルナルドを知ってますか?
彼がキリストの名前を口にしていたんで、、、彼と試合するときに。

私がトーナメントで試合したあとに、彼はキリストのことを話していて、そしてトランクスに十字架を入れていたんですよ。だから自分は666って入れてやろうと思ってね。

そのとき私が勝ったんですけど。
日本ではそれがウケたんで、それからしばらく666を入れたままにしていました。けど今はやめましたよ、ただの冗談ですからね。

それと、2本の斧もトランクスに描かれていますね・・・

ランバージャックね?私の父はランバージャック(きこり)だったんですよ。
いちど私がアルバ、オランダの植民地なんですが、そこで試合したとき、私は対戦相手全員を1ラウンドでノックアウトしたんです。そうしたらトレーナーが私をランバージャックと呼んだんです。
それで自分のニックネームにいいなぁと思ったんです。

リングで一番大変な時ってどんな時ですか?

たくさん大変なことはありますよ。
でも気楽なこともありますよ、、ずっと昔、フランク・ロブマンと試合したんですが、最初はすごく大変な試合だと思ったんですが

2、3回だけ、ピンチはありましたよ。
でも大したことはなかったですね、2、3回いいのをもらって頭がぐらつきましたが、

みんな言いますよね、あなたがロブマンを倒した最初の人だと、でも彼はそんなに強かったんですか?

そうですね、65戦、65勝、63KO、そんな感じだったかな?
彼は全員ノックアウトしたんですよね、でも私と試合したときはすでに40歳でした。

インターネットにはロブマンについて詳しい情報はないですよね、YouTubeに2試合くらい載ってるくらいで。
ケン・シャムロックと、バス・ルッテンとの試合かな。。。

それはもうすごい昔のことですよね、それでその辺の試合が彼のキャリアの最後なんですよ。
最初はすごかったと思いますよ。

2、3回目かな?(私は3回彼と対戦したという意味)私は彼のアゴを折ったんですよ。
それから彼のキャリアは下降してしまいましたね、なにしろその当時40歳かそこらだったんで。

もしあなたが、彼のベストコンディション当時と今現役の誰かと対戦するとしたら、誰が一番強いでしょうか?

今はどんどん技術的な試合になっていますからねぇ、今のレベルは高くなってますよ。
でも昔の試合は今より激しかったですね。

今はスピードはありますが、判定の試合が多いですよね。
今は3ラウンドの試合ばっかりですから、みんな判定で勝ちたがりますよ。

以前は5ラウンドでしたよね、私たちの頃は、2ラウンドでポイントで負けてたとしても、3ラウンド目は問題ないです、4ラウンドでも、5ラウンドでもKOして勝てますからね。

今はスピードのある選手でないといけないんですよ。
そうでないとノックアウトできなかったら、ポイントで負けてしまいます。
制度が変わってしまいましたね。

どういったシステムが好きなんですか?

5ラウンドが好きですね。
こういう選手を見たことがありませんか?3ラウンドでスタミナ切れしてしまうような選手。

私にとっては4ラウンド、5ラウンドだって問題ないんです。
私は自分が疲れた、と感じるほど、いい試合ができるんですよ。

スロースターターですからね、だから個人的には5ラウンドが好きですね。

あんなにたくさんの勝利を経験しながらも、どうやってモチベーションを維持してこられたのですか?

競技を愛しているのです、競技とトレーニングを愛しているのです。
普通は試合後にリラックスしますよね?出かけたりとか・・・
でも私は今週もすでに3回トレーニングをしてますよ、月曜日、火曜日、今日も少し。

それとね、持つべきものはいい仲間ですよ。
いい仲間を持てば、仲間があなたにモチベーションを与えてくれます。
良いスパーリングパートナーもやる気を与えてくれますよ。

あなたの目標についてですが、、どういう結果をリングに残したいと思っていますか?そしていつ引退をしようと思っていますか?

今私は現役生活17年です、20年までは続けたいと思っていますよ、できるかどうかはやってみないとわかりません。
K-1とはもう1年契約を延長しました、その後は様子を見ます。
でももし、今みたいに試合を続けることができるなら、2~3年また延長するでしょうね。

あと、自分のジムをオープンしようと計画しています。
私はもともと南の地方の出身ですが、東の地方につくろうと思ってますね、エンスヘーデ近郊の。妻がエンスヘーデ出身なので。

そんなに大きな商売にしようとは思っていません、私には小規模で十分です。
私はスポーツが好きなので、スポーツをずっと続けたいんです。

あなたには弟子がいますね、たとえばウイリアム・ディエンダー、彼はどうですか?

いい調子です。
以前はたくさん弟子がいたんですが、今はとても忙しすぎて。今は2~3人だけですよ、少しだけ指導してますが、それだけです。
私は自分の試合に集中したいときは、他のことにはとても手が回らないのです。

2~3年後、私が引退したあとは、うんと指導してやりたいですよ。でも今は忙しくて無理ですね。

トレーニング中に一番大切なことは何ですか?あなたはどのくらいハードにトレーニングしますか?

いつだってハードにトレーニングしなければいけないですよ、それと一番大切なことは、良い仲間を持つことです。
悪い仲間と練習していたら、弱くなってしまうと思います。

もしスパーリングが簡単すぎたら、ガードを下げるようになってしまうから。良い仲間と練習するなら、ガードをきちんと上げるクセをつけるようになる、そうでないとパンチをもらってしまうからね。

いい仲間、ハードな練習ができる仲間とね、あんまり攻撃をもらいすぎてはダメですけどね。
もし毎週顔にクリーンヒットをもらっていたら、それはそれでよくないからね。

どうしてあなたはファイターになる決意をしたんですか?

私はボクサーになりたかったんですよ。
5~6歳のとき、すでにボクサーになりたかったですね。
でも私の母が反対したんです。

だから私はテコンドーをはじめて、その後にキックボクシングをはじめたんです。
幸運にも、私の母はキックボクシングが何か知りませんでしたからね。

読者の皆さんはあなたの次の目標を知りたがっていますが?

トーナメントで優勝したいですね、今活躍してる選手に勝ちたいです。
私にとって大切なことは、キャリアに関係なく、ベストを尽くすことです。

以前は真剣に考えていませんでした。
私はトレーニングはマジメにやってはいましたが、飲みに出かけたり、夜更かししたり、食べ物にも気をつかってなかったし、、でも今は本当に、本当の、人生の目標を持ってやっているんです。
この2年を、人生最高の年にしたいんです。

あなたのキャリアを1995年から調べてみたんですが、アンディ・フグやレ・バンナに決勝をKOで勝ちましたよね。どうやってそんなグッド・シェイプを長期間保っていられるんですか?

私は体というのは大切だと考えています、健康でいなければなりません、しかし一番大切なのは、心を強くするということです。
それほどテクニック的には優れていないのに、強いハートだけで勝つ選手が何人かいます。

K-1のヘビー級で戦うには、体重を増やすことが重要ですか?

場合によりますね。
セーム・シュルトとか、チェ・ホンマンのような160キロある選手と試合するときは、パワーが必要になります。

大きな体の選手と試合するときは、体重を増やすことが必要になりますし、軽い選手とやるときは、体重を減らしました。
私にとっては軽い選手のほうがいいですね、今私は103キロなんですが、そのほうが良く動けますね、前回の試合のように。
重いときは、疲れるのも早いですしね。

レ・バンナについて、どうして彼は前回負けてしまったのでしょう?

彼はモチベーションを失っているんではないですかね。
昔は彼は本当に戦いたがってたんですが、今は、、、彼も競技は好きなんでしょうが、モチベーションが欠けていますね。
彼がやる気を出しているときは、もっといい試合ができますからね。

前回の試合は。。。

よく見ていないんですよ、最後のラウンドだけ見ました。
ええと、、私の試合のすぐ前ですよね、だから忙しくて見れませんでした。

私は4ラウンドで彼が勝ってたと思ったんですけど、エクストラ・ラウンドになってしまいましたね。

日本ではもっと若い選手が求められているというのもあるんだと思いますよ。
私の試合についてあなたはどう思いますか?私も衰えているんじゃないですか?

率直にいって、あなたはすごくリードしていたとは思えません、でもあなたが勝っていたということは明らかです。
3ラウンドのあと、どっちが勝者かということに疑問の余地はありません。
ですが私は彼ら(ジャッジ)がこんな風に思っていたと感じます
「彼らは年だ、疲れている、もう1ラウンドやらせたら若い方が勝つだろうさ」と

私もそう思いますよ、わからないですけど、彼らが若いファイターを持ち上げようとしているんだと。そういうのは良くないですよね、、どうしたらいいだろう。

もしあなたが負けたら、人々はあなたがもう年をとりすぎているとかなんとか言い出したでしょうね。

2年前、怪我のために負けましたね、バダ・ハリに、あれはついていなかった、最初から勝てっこなかった。

・・・しかし私はあなたが既に復活して、それを証明したのが嬉しいです。

ええ、いつだって、私は”自分はできる”ということを知っているのです。
そして人々がそのようなこと(年だなど)を言うのが、私のモチベーションになるのです。私は自分に腹がたって、それがやる気につながるのです・

それとあなたが対戦相手を選ぶときのことについてもお伺いしたいのですが、いつでも一番強い相手を選んでいらっしゃいますよね?
レ・バンナは一番楽な相手ではありませんね、シュルトは最も大変な相手です、どうして楽な相手と戦わないのですか?

はい、シュルトは私が自分から選びました。
チャンピオンになりたいのなら、一番強い相手と戦わなければいけませんからね。
チャンピオンの中には、できるだけ楽をしようという選手もいるようですが・・・

ですが、3回試合をしないといけない中で、あえて困難な選択をするのは危険ではないですか?

わかっていますよ、でもどうってことないです。私はそうすることが正しいと考えていますから。
賢いやりかたじゃないのかもしれないですね、みんな無理だっていいますよ。マネージャもやめとけってアドバイスします。しかし、私はこういうやりかたで行きたいんです。

トップ選手と戦うほど、人々は尊敬してくれます、困難な道をいくほどに。

あなたの前回のジマーマンとの試合ですが、誰がこの試合を決めたのですか?あなたのマネジメントですか?

私が決めたんです、私が私のボスです。
マネジメントはアドバイスをくれるだけです。ジマーマンはバダ・ハリと戦うべきでしたが、2週間前に電話が来ました。

あなたにとってもっとも重要な対戦相手は誰ですか?アンディ・フグですか?彼の死をどう感じましたか?

彼は良い友でした。
彼とは4戦して、彼が2勝、私が2勝しています。

あの頃、私はたくさんのコマーシャルを日本で行っていて、彼もそうでした。だから私たちは一緒にいる機会がたくさんありました。

そして私は彼を友達だと思っていました。
彼が死んだとき、私はそばにいました。私は彼の死ぬ直前に病院に到着したんです。

スイスで?

いや、日本です。私は日本で試合をしていました。しかし彼はその時すでに昏睡状態でした。

彼はスイスで埋葬されたのですか?それとも日本?

ええと、日本じゃないかな?よくわかりません。彼の遺灰は日本にも埋められていると思います。

アンディ・フグ、彼のかかとおとしは脅威でしたか?

私にとってはそうではありません。もっと小さい相手と戦うときに有効なのではないでしょうか。
ですが彼はすごく強いローキックを持っていました、いつも彼と試合するとき、右足にくらっていました。私は彼の最も有効な攻撃はローキックだと思いますね。

フランク・ロブマンもローキックで有名でしたよね。。。

ええ、しかし彼はパンチのほうが得意でした。彼は非常に良いボクサーでした。それにもちろん、ローキックも得意技でしたが。

あなたはアンディ・フグやレ・バンナを友達と呼んでいますね、しかしあなた方は殴り合っていますが。。

それはただのスポーツだからですよ、ケンカではないという認識でいます。なにより仕事なんです。
いいですか、もしあなたが友達をノックアウトすることに抵抗があるなら、リングに上がるべきではないですよ。

あなたが試合した極真空手の選手のなかで、一番強いのは誰でしたか?また代表的な極真選手は誰でしょうか?

たくさんの極真選手と試合をしてきました、アンディ・フグ、フェイトーザ、フィリオ、アンドリュー・トムソン、彼らはみな強い精神力の持ち主でした。
私は彼らのボクシングテクニックはすごいとは思いません、が、体力と精神力が非常に強いです。

あなたの経験の中で、一番脅威に感じる対戦相手は誰ですか?

一番怖い選手、、私は長年試合をしてきたんで、17年間、一番怖い選手ねぇ、、全員怖いですよ。

だって、私も年をとってきて、私のコンディションも少しずつ劣ってきています、今はだれと試合しても危ないですよ。若かったらそんなに危険なことはないんですが。

トレーニング中に一番大切なことは何ですか?

最初の段階では、基本をしっかり学ぶことです、それからコンビネーションを学ぶこと。
コンビネーションはとても大切です。たくさんのコンビネーションをマスターしたら、プロになれますよ。
ですが私のレベルになると、一番大切なのはスパーリングです、良いパートナーとの。

ストレッチにはどのくらいの時間を費やしますか?

そんなにたくさんはやりません。

ウエイトトレーニングの重要性はどうですか?

私にはとても大切です。私は腰と足首が悪いからとても大切です。
筋肉と関節を強く保たなければいけません、コンディション維持のために、私にとってはとても重要なことです。

オランダのジムと他の国のジムとの違いとは?

オランダには良いシステムがあります。この国のシステムはタイより良いと思いますよ。
最も大切なことは、たくさんの経験をつめることです。たくさんの競技人口がありますからね。
たくさんの経験をして厳しいトレーニングをする良い制度があるんです。
ハードトレーニングがとても大切だと思いますね。

ロシアやアメリカも練習は厳しいですが、K-1の決勝に出るのはオランダ人ばかりですよね。

私はロシアやアメリカで練習をしたことがないので、内容がどうかとかはわかりません。
たぶんその国でも練習はハードなのでしょう、ですが良いスパーリングパートナーがいないんじゃないでしょうか。わかりませんけど。

あなたはチャクリキに戻りましたよね。どうして戻ったのですか、難しい選択でしたか?

いえ、難しい選択ということはなかったです。
私はいろいろ悩んでいて、たくさん問題があったので。どう戦うべきか知りたかったんです。

技術的にはいいんです、それについては問題ありませんでしたが、戦うためにはもっと精神を研ぎ澄まさなければならなかったんです。
トム・ハーリンクは精神をすごく強くしてくれるんです。
それにチャクリキのトレーニングは厳しいですよ。

あなたが他のジムに所属していたときも、トムとは話をしたりすることがありましたか?

もちろんです、しょっちゅうではありませんが、私たちはいろんな試合会場で顔をあわせたりしました、いつも良い関係でしたよ。

MMA(総合格闘技)についてお伺いしたいのですが。。。

総合の試合は2回やりましたね、面白かったです。
私はK-1については何でも知っています、知っていると思います。
でも総合については新鮮でしたからね、わくわくしましたよ。もっと総合の試合をやってみたいですね、でもマネージャーは嫌がっていますけど。

あなたは日本だけで試合をするのですか?

私は日本と契約して、K-1でしか試合をしません。
それにオランダで試合をしたとき、いろいろと面倒なことがたくさんありました。
200人くらいの人が電話してきて、試合をしたいとかそういうことで、本当に大変でした。

レベルが高いのはオランダですか?日本ですか?

-70キロではオランダだと思いますね、個人的な意見ですが。
それとタイも、しかしヘビー級ではきっと日本のほうが上ですよ。
知っているでしょう?トップファイターのほとんどが日本で試合していますからね。

それでは最後の質問です、日本をどのように好きですか?

私は本当に日本が好きです、人も、食べ物も、彼らのライフスタイルも。
もちろん人それぞれ見方は違いますが、格闘技をするには日本は本当に良いところです。
しかし、日本に住みたいとは思いません、私のライフスタイルとは違いますからね。

質問をくれた読者の方々はあなたのリングでの成功と、人生の成功を願っていますよ。

ありがとう、押忍。

(日本語訳:KK)

トム・ハーリンクインタビュー

http://superkarate.ru/allnews/interview/thom_harinck

English translation is here.

チャクリキ

チャクリキ!世界で最も有名なキックボクシングジム。
ここでは多くのムエタイ王者、ヨーロッパチャンピオンならびに世界チャンピオンが排出されてきた。
ブランコ・シカティック、ピーター・アーツ、ギルバート・バレンティーニその他大勢。

世界中から集められた勝利のため秘訣が、トム・ハーリンクによって体系化された。
この手法は30年以上も否定されることなく活用されている。

トム・ハーリンク - 1983年 MTBN(オランダムエタイ連合)を創立、EMTA(ヨーロッパムエタイ連合)、1984年 WMTA(世界ムエタイ連合)、そして極真6段、拳法7段・・・。

タイ・ルンピニースタジアムで戦った最初のオランダ人でもある。

トム・ハーリンクはスポーツに”ファッション”としての影響力も与えた。
はじめて赤いサテンのトランクスを使用したのも彼だった。(後にキックボクシングの公式なスタイルになった。)

その手法

チャクリキの道場は(”道場”であり”スポーツクラブ”ではない)とてもシンプルだ。

リングのある小さな部屋、多くのサンドバッグ、グローブ、そして巻きワラがひとつ。
小さなフィットネスルームとロッカー。
バー(喫茶スペース)にはオランダのジムには似つかわしくない、いかつい男ではなく、笑顔の素敵な若い女性がいる。

(壁一面の)ポスター!私は30分もこれに見入ってしまった。
30年間のムエタイ・キックボクシングの全ての歴史を垣間見ることができる。
ルシア・ライカ、アーネスト・ホースト、ブランコ・シカティック、ギルバート・バレンタイン、ラモン・デッカー、フランク・ロブマン・・・。

ポスター、古いバッグ、そしてリング、生ける伝説の選手、来る者を歓迎してくれるメンバー。全てが素晴らしい雰囲気をかもし出していた。

トム・ハーリンク

スタイルがよく陽気でカッコイイ。
テクニックの実演は、動きがなめらかで美しい。
手を抜くことはないが決して傲慢ではない。

「私は一日中ジムにいるよ。君が来たいと思うならいつでも。
だが一番いいのは水曜の朝だね、人が少ないから。
水曜の11時においで、来たいなら。」

これだ、この語尾のフレーズ
「君が来たいなら(オランダ語:アルス ウー ヴィルト)」
私はさすがだな、と感じた。

オランダの年配のインテリというのはこういう言い方をするものだ。

たとえば、教え子に言うとき、「しっかりやれ」のようなことを言った後につける「君がしそうしたいなら」
それはその相手に対してのリスペクトの意味が含まれている。

トム・ハーリンクの尊敬の理念はどこにでも生かされている。
従業員に話すときも、選手を指導するときも。

その日は早々に退席しなければならなかったので、ホールで話をうかがった。そのとき音楽は流れていなかったのでICレコーダーでのインタビューにとっては良かった。
私はずっと、後ろを見ていた、ガラスの向こうでトレーニングにいそしむ若い選手達を。

インタビューが2時間ほどたって、私は彼に言わずにいられなかった。
「待てますよ」
そういうやいなや、彼は選手に稽古をつけるため、トレーニング室へ駆け込んだ。

レッスン終了後、彼は戻ってきて、私を待たせていたことを詫びた。

私は自分の年の2倍ほども年配の、しかも並々ならぬ尊敬を集めているような人が、私に対してそんなに丁寧に対応してくれることにかえって恐縮してしまった。


チャクリキ トレーニング風景

- そもそもの始まりは?

「私が6歳のとき、柔道をはじめて、12歳までやっていたんだ。
 茶帯までだったね、そのときは12歳で黒帯というのはなかったからね。
 
 それからサッカーを始めたんだ。もうそれは熱中してね。18歳までやったよ、その後軍隊に入隊したんだ。
 軍隊では戦車の操縦をやっていたよ。

 軍隊でボクシングに目覚めて、22歳までアマチュアで試合をしていたんだ。
 一度ポイントで負けたことがあったね。

 軍隊退役後、ジョン・ブルミンの極真空手を始めたんだ。
 黒帯トーナメントで、顔を殴ってしまって失格になってしまってね、

 そして気がついたんだ、空手は向いてないなって。
 そこで私は空手とボクシングを融合であるキックボクシングをやることに決めたんだ。」

-極真の6段でいらっしゃるのですよね?

「そうだよ」

- 何年くらトレーニングをされてたのですか?

「そんなに長くはないよ、”チャクリキ”を創立してから、たくさんの師範がやってきて帯をくれたんだ、尊敬の表現としてだろうね」

- ロシアではブルミン氏は大変尊敬されています、ですがその当時、彼は簡単に帯をくれたそうですね?

「そうなんだよ、あまりに簡単にね。
 たとえ空手をやってなくても帯をくれたね。

 私にとっては帯はたいして重要ではないんだよ。
 ”チャクリキ”には帯はない、大切なのは試合のレベルなんだ。

 見ただろう?たくさんの帯が私のオフィスにあるのを、
 柔術、拳法、カンフー、人々はお土産がわりに帯をくれるんだよ。
 私がその競技をやってたという理由ではなくね。

 私がやっていて、愛しているのは”チャクリキ”であり、帯というのは何の意味もないんだよ。

 1972年に私は選手の指導をはじめた、そしてすぐに彼らはトーナメントで勝つようになったんだ。」

- 当時のトーナメントというのはそれほどハイレベルではなかったと思うのですが、たくさんのジムが参加していましたか?

「そうだね、我々は外国で試合をすることが多かったね、ドイツやイタリア、そのほかいろいろと・・・
 テコンドーのトーナメントだったり、拳法だったり、少林寺拳法だったり、、
 我々はそのたびに、いろいろなスタイルでトーナメントを戦ったよ。

 その頃、すごく効果的なことがあったね。赤いギ(道衣)を着たことで。」

- 有名な赤いギですね、今までにも見たことがあります、赤いギを着た選手を。
バダ・ハリがアムステルダムで試合をしたときも赤いギを着ていましたね。
彼はあなたのチームに所属していたんですか?

「そうだ、7年間私が指導したよ。そして55試合して51勝をあげた。イグナショフに負けてしまったこともあったな。」

- それは彼がまだ若かったからでは?

「バダはそのとき18歳だった、みんな”バダはイグナショフと試合なんてできるのか?”と聞いてきたよ
 私は言ってやったね、『できるに決まっているだろう』と
 そして、バダは良く戦ったよ。
 最初は良かったんだよ、だけど後で疲れてしまったね。」

- それでその後は?

「取り巻きが彼に車をあげたり、お金をあげたりするようになったんだ。
 そしてジムを去ってしまったよ。」

- バダが去ってしまって、どうお感じになりましたか?

「ずっと彼を息子のように思っていたよ、でも去って行ってしまった。
 本当にショックだったよ。
 選手を失ったからじゃない、本当に父親のつもりで接していたんだ。

それまで何の問題もなく、ケンカもしたことはなかったんだ。
 だが、金持ち連中がバダにお金を渡すようになって、たったそれだけで彼は去っていってしまった。
 裏切られたね。」

- 彼は去った理由を説明しなかったのですか?

「いや、そのことについて話したことはないよ。
 それきりどこで会っても、バダは私と目を合わせることはないんだ。」

- それで、あなたは今、バダが試合するとき、勝利を願っていますか?

「私の気持ちは変わっていないよ、彼の試合は二度と見ないよ。がっかりさせられたから。」

- ピーター(アーツ)の姿を見ましたが・・・

「ああ、10年間指導してきたが、彼も私の元を去ったね。
 だが彼は帰ってきたんだ。そして自分が間違っていたと私に言った。

 私は彼が戻ってきてくれて本当にうれしいよ。

 ピーターが去ったとき、彼はただ「もうアムステルダムには来ない」とだけ言ったんだ。
 私は「わかった、問題ない」と答えた。

 チャクリキはいつだって新しいチャンピオンを作り出せるからね。
 一人が去っても、他が入ってくる。

 今はヘスディー(ヘスディー・ヘルヘス)がいる。

 4年前、ジムに入門してきたときは、彼は何にも知らなかった。
 しかし今やヨーロッパチャンピオンだ。非常に、非常に良い選手だよ。」

- あなたにとって最高の選手はだれでしたか?

「フェザー級、57キロのテキム・ドネチだね。
 彼は世界チャンピオンで、長期間それを維持していた。
 
 彼が入門してきたとき、6歳のトルコ人少年だった。
 彼が28歳になるまで指導したんだが、コカインでだめになってしまった・・・。」

- それで今、彼は?

「今はもう本当にだめだ、中毒で救いようがない、路上生活をしているよ。
 だが彼は本当に最高の選手だった。タイで試合したんだ。
 私は本当に多くの選手を育ててきたが、彼こそが最高だった。」

- ではヘビー級では?

「ヘスディーだ。彼が私が今まで育てた選手の中で最高の選手になるだろう。」

- それから、シカティック、ブランコ・シカティックは?

「彼はとにかくすごかった。
 選手はみんな何か素晴らしいものを持っているんだが、ブランコの場合は特別だった。

 彼は52歳の今でもグッド・シェイプだよ。まだスポーツをやっている。
 今クロアチアで警備会社と2つのスポーツクラブを経営しているよ。

 結婚式にも出席したさ、私たちは家族のようなものだからね。

 ブランコは本当に素晴らしい男だ。
 彼がK-1で優勝したのは38歳のとき、そう今のピーター(アーツ)と同じ年さ。」

- 私は前回ピーターが負けたのがすごくショックだったのですが・・・

「そうだね、あれはだめだったね、、だめだった。」

- 何が悪かったのでしょう?年齢でしょうか?

「いや、年齢のせいではないね。トレーニングの方法が悪かったんだろう。
 ゆっくりしたペースだし、モチベーションも低かった。

 ヤン・プラスは警察とのトラブルで忙しかったんだね。
 それにピーターと心でつながってなかったんだ。

 そういったことが全部作用して、悪い結果を招いてしまったんだ。

 ピーターはもっと早く戻ってきたかったみたいなんだけどね、ためらっていたみたいなんだ。
 どんな顔で私に会えばいいかわからなかったんだよ。

 だけど私は昔のことは水に流してるからね。」

- ピーターはK-1に返り咲けると思いますか?

「それこそが今目指していることだよ!しかしもちろん、どんなことも断言するのは難しい
 まだ戻ってきて2ヶ月しかトレーニングしていないからね。

 ピーターに聞いてみればいい、すでに50%以上のコンディションになってるだろう。
 だが私は100%の仕上がりを期待している。

 ヘスディーやブラドック(アンデルソン”ブラドック”シルバ)と一緒にトレーニングしているよ。
 フォームは改善されているが、もう少し時間がほしいところだ。
 ピーターにはぜひまたK-1で勝ってほしい。」

- 昨日、あなたの写真を妻に見せながら話したんですよね。
「私が生まれた年、この方は既に3回ヨーロッパチャンピオンになってるんだよ」と。

「ハハハ、君は1975年生まれなのかい。私は年寄りコーチの一人だけど、まだまだ現役だよ。
 多くのコーチはもう引退してるけどね。
 ヨハン・ボスや、ヤン・プラスももうほとんど教えていないし、他にも、たくさんのコーチがやめてしまったね。

- あなたは今もグッドシェイプですよね。

「そうだよ、完璧だろう?
 65歳だが、キックも強くて早いんだ、ジムの若いものには負けんよ。
 毎日トレーニングをしているんだ、今朝も8時半からね、もう今日のトレーニングは済ませたよ。」

- トム、あなたは異なったルールにもお詳しいですよね、ですがなぜムエタイを教えていらっしゃるのですか?空手や他の競技ではだめなんですか?

「そうだねぇ、、私はムエタイが好きなんだね。
 一度日本で、ロイド(ヴァン・ダム)がロシアの極真空手チャンピオンとの試合に招かれたことがあったんだよ。」

- レチ・クレバノフですね?

「そうだ、ロイドには2ヶ月準備させたよ。
 あれはすごい試合だった!ほとんど同格だったね。

 3ラウンドにロイドがクレバノフの顔を2回殴ってしまったんだよ。わざとじゃないと思うが。
 それでも私はドローだったと思うんだがね、ジャッジはロシア人につけたね。

 クレバノフはロイドが今まで戦ってきた選手の中で一番強いと言っていたよ。
 彼は誠実で、とてもいい人間だったね。

 ロイドが反則したのもあるし、ロイドは極真ファイターじゃないから仕方ないね。
 たった1試合のことだけど、しかしとにかく、私はムエタイが好きなんだよ。」

- K-1については・・・

「K-1は好きじゃないね。」

- なぜですか?

「私は5分3ラウンドが好きなんだよ。それこそが選手の真価と根性を発揮できるからだ。
 3ラウンドの試合なら誰でも出来る。
 最初、1992年の頃は、K-1は5分3ラウンドだった。
 
しかし日本人はオランダ人があまりにも強すぎるということを知ってしまったんだ。
 日本人は1~2ラウンドはすごくいいんだよ、しかしその後疲れてしまってノックアウトされてしまうんだ。

 そして日本人は言ったんだ「ねぇ、ルールを変えようぜ、3ラウンドにしようぜ」と
 たとえトーナメントの最中でもね。私は受け入れたがね。
 
 その後、トーナメントの3試合すべてが3ラウンドになった。
 私は個人的に、5ラウンドで試合するのが好きだけどね。」

-ですが、時にムエタイはクリンチのしすぎではないですか?

「いいや、クリンチになれば止めればいいだけのことだ。
 しかしクリンチはいいんだよ、それは素晴らしい、良いテクニックだ。
 ただそれをうまく使いこなせる選手はほとんど居ないのが現実だ。

 タイの試合でクリンチを見てごらん、ものすごくエキサイティングだから。
 見事な膝蹴りとヒジでね。

 とはいえ私も、クリンチというものがどういうものか他の場所では理解されていないということもわかっている。
 だからキックボクシングの試合でクリンチになったら、止めるべきだね。」

- あなたは数ヶ月タイに滞在されてたんですよね?

「そうだ、1978年にタイに招かれてね。
 その時我々はヨーロッパ一のチームだったんだよ。

 しかしタイでは全く予測だにしてなかったんことが起こったんだよ。

 私はそれまでムエタイなんて知らなかったし、全く見たこともなかったんだ。
 だが現地で何人かのタイ人選手のトレーニングを見て、
 「これは勝てっこない!」と確信したよ。

 たとえそれがわかって、それに対応しようと思ったって遅すぎた。
 完膚なきまでに叩きのめされたよ。
 1ラウンド、2ラウンド、3ラウンド、試合ごと全てノックアウトされた。
 全員KO負けだ、ひどいもんだったよ!

 その後、選手達は帰国したが私はタイに滞在した。
 私はタイでもベスト3といわれている各ジムで、本当のムエタイのテクニックというものを学んだ。
 そして帰国してそれを選手たちに教えはじめたんだ。

 それから私は今まで学んできた全ての要素を集めたんだ。
 ボクシング、ムエタイ、キックボクシング、空手そしてその当時出来上がっていたチャクリキ!私のスタイルもね。」

-チャクリキはこの10年、スタイルが変わりましたか?

「いや、変わっていないよ。もちろんこの年月で学んだこともたくさんあるけどね。
 人は27歳から30歳までの間には、全てのことを学んだと思うだろう。
 しかし、大人になればなるほど、たくさんのことを知るものだ。

 65歳になった今もなお、新しいことを学んでいるよ。
 より良いコンビネーションとかね。
 それは人生経験の一つだと思うんだ。

 アメリカの有名なボクシングトレーナーは老人だった。
 マイク・タイソンや、モハメド・アリや、シュガー・レイ・レナードのコーチは73歳とか75歳とかだったね。

 そしてそのコーチが心臓発作で亡くなった後、タイソン、アリ、レナードは若いコーチについて練習し始めたけど、キャリアはその後下降してしまった。

 今の私にはそれがなぜかわかるんだ。
 それ以前はいつも、70歳の老人がセコンドについて一体何をアドバイスできるんだ?と思っていたんだが、年齢は関係ないんだ。
 
 当たり前のことなんだ。選手たちは”その”老トレーナーを必要としていたんだ。
 そしてそれこそが100%彼らを成功に導く方法だったんだ。

 K-1グランプリ決勝戦の8名のうち、5名がオランダ出身者だ。
 私はなぜかわからなかった、オランダ人はそれほど積極的ではないのに。

 しかしその理由はこれだ、コーチ間のライバル争いが激しいんだよ。
 トム・ハーリンク、ヤン・プラス、ヨハン・ボスのね。
 我々がこの競技をこんなにハイレベルにしたんだ。そして選手が成長した。
 まるでアヤックスとフェイエルノード(サッカー)のせめぎあいのようにね。

 私はヤン・プラスに勝ちたかったし、ヤン・プラスも私に勝ちたかった。
 そのため我々は常に選手に厳しいトレーニングを課してきたんだ。

 現在、オランダではキックボクシングは人気スポーツとなった。
 アメリカでは総合格闘技だね。

 しかし人々は良いコーチがついたからといって、いいキックボクサーになれるとは限らないだろうと思っている。
 私がアムステルダムで指導しているから、強い人材がいるアムステルダムだから強いんだと人は言うんだ。
 ユトレヒトやロッテルダムには選手がいないからと。

 しかし私がユトレヒトでジムをオープンさせれば、ユトレヒトからオランダチャンピオンは生まれるはずだ。
 選手がどこに住んでいるかなんて関係ないんだ、オランダ人だろうと、ロシア、ベルギーだろうと。
 コーチが良ければ、必ず選手も良くなるんだよ。

 だって考えても見てごらん、こんなオランダという狭い国にこんなに良い選手がいっぱいいるんだ。
 アムステルダムの人間だから強いなんて決め付けちゃいけないよ、それは真実じゃない。

 私がもし、ロシアの小さな町でジムを開いたら、ロシア人は強いんだなと人は言うようになるよ。

 私は何度もロシアのモスクワを訪れたことがある。
 ロシアの選手も一生懸命練習をしているのを知っているよ、
 しかし、しっかりとしたトレーニングシステムがないからどうしていいかわからないんだ。

 コーチが良い選手を作るんだよ。」

- 現在現役の選手の中で、興味を持っている選手はいますか?

「タイロン・スポーンだね、昨日ちょうど彼から電話がきたんだ。
 ここ(チャクリキ)で練習したいってね、スパーリングパートナーに困っているそうなんだ。

 ウチにはたくさんいい選手が揃ってるからね。来てもいいよと言ったよ。

 K-1にはあまりいい選手がいないね。
 K-1が意図的に支配しすぎるという側面があるからじゃないかな。
 いい選手の多くはもうK-1で試合してないよね。

 オランダの”イッツ・ショウタイム”というトーナメントでも同じようなことが起こっている。
 システムのせいだね。」

- しかしあなたの選手はそこで試合をしてますよね、主催者と知り合いだからですか?

「違うね、彼らは我々を無視することができないだけだ。
 しかしウチの選手が試合をすることを拒むことがよくある。

 たとえば、バス・ブーンがいるだろ、彼に言ったんだ
 『なぁバス、ヘスディーと(グーカン)サキの試合と、ブラドックと(エロール)ジマーマンの試合を組んでくれよ』と、

 だが彼は同意しなかった、なぜなら自分たちに利益がある試合だとは思えなかったからだね。
 そういうことが起こるのは不運なことだ。」

- えーと、もし誰か本当にいい選手がいたら、その選手はトーナメントに出られるのでしょうか?

「場合によりね、もし本当に、本当に本当にいい選手だったら、主催者は無視することはできない。
 もし選手が勝って、人々がそれを知れば、チャンスを得ることができ、主催者たちは選手と契約するだろう。

 しかし言わせてもらうと、もし選手が本当に強くて、トップであったとしても、
 そのオランダ人より強くない多くの日本人選手が、
比べ物にならないくらい高額のファイトマネーと社会的地位を、日本では得ているのも事実だ。

 日本のリングもオランダのリングも同じリングに違いないのだが、
 日本ではテレビでもインターネットでも、多くの人々が何が起こっているかということに興味をもって見ているからね。
 日本ではビッグビジネスで、だからこそ日本人選手はビッグネームになっている。

 オランダやルーマニアでも良い選手の参加するトーナメントは度々ある。
 先週の”RINGS”も非常にハイレベルだった、しかし報道はされなかった。

 だれもそれを変えようとしない、テレビ局と契約したりその他のことを。
 いや、たとえしようとしても、テレビ局は契約してくれないんだ、すでにK-1と契約してしまっているから。

 皆K-1が最高のスポーツだと思っているからね。
 だがフジテレビで中継されているK-1は全て意図されているものだ。

- ところで、私はこのジムの料金表を見て驚いたのですが。
普通オランダでは、1年契約とかになっていて、退会する3ヶ月前に言わないといけないとか、いろいろ手続きがあるのに、ここはすごく自由な条件ですね?料金も安いし・・・

「そうだね、もちろんいろんな経費は必要だけれども、
 コーチや従業員への給料とか、家賃とか、オランダの税金ももちろん払わないといけないし。

 しかし、誰かがジムをやめたいと言うのなら、そういった契約上の問題を作らないようにしているんだ。
 どんなことでも長期契約をしないということはとてもシンプルだよ。

 約300人の子供がいるが、子供は1ヶ月、週3回のレッスンで18ユーロ、これはすごく安いよね。
 また、プロ選手からの利益を得ることだってしたいよ。それは当然のことだよね。

 だがそんなにたくさんはいらないんだ。
 私にとってお金は大きな問題ではない。

 私の妻はとてもいい仕事をしていてね、彼女は弁護士で、大学の教師でもある。だからお金に困ってはいないんだ。」

- そろそろ12時ですね、時間では?

「そうだな、行かなければ。いつでも来たいときに来なさい。一緒にトレーニングすることだって出来るよ。
 私の本をバー(喫茶)に渡しておくから、帰るときは持って行きなさい。」

(日本語訳:KK)

原文(ロシア語)はこちら
http://superkarate.ru/allnews/interview/thom_harinck